朝食 ローヤル膳

もう、帰る日になってしまいました。朝食は、リゾートスナップのお得情報のおかげでローヤル膳しっかり予約しておきました。
 

サラダとおそばと豚汁はおかわり自由というので、いつまで続くか食べ盛り、の我が家には、うれしいかぎり。

恥ずかしくない程度にぜ〜んぶ、おかわりいたしました。

次回もこれで決まり!と、こういうときは、意見がすぐ一致です。

秋は、また、メニューが少しかわるそうですが、続けていくそうなのでうれしいですね。

 

今日は、山がみえるほどの天気ではないのでピラタス山頂にいって雨池にでも散歩にいくことにしました。
ピラタス周辺には、チャバネセセリがとまっているノハラアザミやツリガネニンジンも咲いていました。

雨池は、雨が降ってできた池なのでしょうか。浅い池でした。山頂駅までの雨池峠で「何かいるよ」と、いうのでみると石の奥で何か、がさごそしています。5分くらいじ〜っとしていましたら、石の上に現れてくれました。
鳥です。幼鳥もいました。オナガでもないし、なんだろうね、と山をおりました。この鳥の名前、見ただけでわかるかた、かなりすごい人です。


 

 

名前は、後述のお昼をいただたプール平のトミーズ、スタイルのオーナーに教えていただきました。「ウソ」という鳥です。上の頭が青いのがメス、下の木の枝に留まっているのが幼鳥です。

鳥は、メスの気をひくため、概してオスが派手です。ウソもオスは首がオレンジで図鑑にも載っていますが、メスと幼鳥はまず、載っていません。とても貴重な写真かもしれません。
(お使いになる時は、ACAラウンジまでご連絡を!笑、 チョコたん写すって書いてね)

プール平

蓼科の中心部に「プール平」というちょっと変わった地名があります。茅野からビーナスラインをエクシブに上って行く途中ホテルハイジから上を気をつけて見ていると電柱にかかった「プール平」のプレートを見ることができます。

大正末期、虚弱児童の健康増進のために親湯で保養させたところ効果があったことから、昭和2年、親湯(信玄の隠し湯、低温泉23.8度自噴)からひいたお湯で50mのプールを完成。「開山プール」とよばれました。

当時は、砂利道で馬車。それでもオリンピックの練習にもつかわれたとか。温泉プールはめずらしく遠くからきたそうです。やがて、バスの停留所ができおみやげやさんの万葉堂や郵便局、写真館などお店ができ別荘地として発展していきました。文化人や大学の先生もたいへん多い別荘地です。

プール平に別荘のある友達から、万葉堂の中に新しくできた「黙坊」というおそばやさんは、売り切れごめんのおいしいおそばやさんよ、とか去年移築された無芸荘や別荘の人達がいく家庭料理のトミーズ、スタイルもいいわよ、とか話は、聞いていたのですが、やっと今回の旅でいくつか念願がかなうことになりました。

無芸荘

昭和20年代後半、小津安二郎監督が蓼科に仕事場をうつし「東京暮色」以降亡くなるまで7作品全てのシナリオがここで書かれることになったのです。実際には、ここより、1キロほど上の親湯寄りにあったそうです。書いている時間よりダイヤ菊を飲んでいる時間のほうが長かったそうです。私もダイヤ菊の酒造見学をしてダイヤ菊を飲んでから 来たかったのですが、ちょうどお盆から見学コースが改築工事で半年お休みになるということでがっかり。また、いつか。

 

2003年10月オープン時の無芸荘 (冬季休業)

 

無芸荘の中、ボランテイアのガイドさんが相手をしてくださいます。
奥のスクリーンで小津監督の蓼科での生活など映し出されます

 

1本のシナリオを書くのに100本ダイヤ菊が空いたとか

五右衛門風呂

かまどのある台所、奥は、事務所の台所

小津の散歩道

プール平の郵便局の道を突き当たり右に下りて行くとゆっくり歩いて15分位で大滝に行くことができます

 

せせらぎを聞きながら歩く道

途中の橋の上から
(橋は渡ってはいけない。滝の湯へ下りてしまう)

大滝(右にあずまやもあります)

毎日散歩をしながら、シナリオを考えていたのでしょうね。

 

キングサリの花がさいていました。

 

これが、ひとよたけ〜です。

ちょっと、な〜んだでしたか? 笠がオレンジ色かとおもったでしょうか。
きのこは種類がたくさんあるのです。ひとよたけだけでもいろんな色と形がありますね。
ガレはこういうのを見てランプにしようと思うなんてすごいですね。
 

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