4月には、山で切り出した直径1M(周囲3m)長さ17m、重さ10トン(上社の場合、伐採後の水分を含んだ生木のため下社より重い)にもなる
モミの木を急坂を下る「木落し」宮川の雪解け水で清める「川越し」が見せ場の「山だし」
・・・突然、左隣りのご主人が大きな声でうたい出したのでまた、驚きました。驚いている私に別のご主人が、これは、「木やりうた」と言って「ここは、木落し、おねがいだ〜」と曳き子への気合、応援のようなものでこれがないと御柱は動かない、というほど、重要なのだと教えてくださいました。 そして今は、上社の本宮と前宮に建てる8本の柱が順番に山から曳いてきたのを木落し坂から落とすところだということ。それぞれの柱を曳く分担があって、「富士見、金沢」「米沢、北山、湖東」・・・など教えていただきました。 今、これから落とすのは、「米沢、北山、湖東」というので、それなら、エクシブのある北山地区の御柱を木落し、川越し、里曳き、建て御柱まで追っかけでついて行くことに決めました。(単純ですがなんとなく愛着を感じているので)
「人を見るなら、御柱」の意味がわかりました。
日本最古といわれるお祭に外国のお客様の多かったこと。
|
||
一人一人が親善大使です! |
木やり日本一のたすきをかけた子がいたので聞いて |
|
少し、お祭の雰囲気にひたったのでまた、木落し坂に近づいて行きました。
氏子は寄っていかなきゃ野暮なんだそうです。とはいえ大人は、ただとはいかないので祝儀をはずむそうです。
|
||
木落しがかなり近くなってきたところで入ろうとしたら、近くの場所は、桟敷席のようになっていて事前に席を買った人しか入れない事がわかりがっかりしていたところ、携帯が鳴りました。 「さきほどのご主人が奥さんは、どこ行ったか、というので橋を渡って木落しの近くまで行った、と言ったら、自分の席があるから連れて行ってくださるそうだけど、どうするか、」という電話でした。まさに神様からの贈り物!「ぜひ、お願いします」と即答。こんなこともあるんだとうれしくなりました。 人ごみをかきわけやっと桟敷席のあるはずの小屋にたどりつきました。中央線をはさんでメドデコにたくさんの若衆をのせた御柱が右に左に揺れています。坂の距離は、下社より短いものの40m角度は、断崖。10万の観衆が集まっていたそうです。
|
中央線のすぐ脇に木落し坂があるとは。 |
|
木やりうたと人々のわきあがる拍手と歓声の中今まさに御柱が暴れようとしています。
|
||
御柱が清めにあずかる前にまず、地区の旗を持った氏子たちが冷たい川を転びそうになりながら、
つぎつぎに川に入り綱を曳きます
|
||
放水をしたり木やりうた、太鼓で気合も入ります
いよいよ突入です。そのときボキッと音がしました。あとで聞いたら
|
||
バランスをとりながら最後の一引き
後メドが跳ね上がり歓声とともに着水。以前死者がでた為、前メドだ |
||
今日は、4月というのに半袖でも汗がでる暑さというのに明日は、大雪の予報だというのです。防寒の用意をしてこなかったのでエクシブはキャンセルして東京に帰りました。翌日、予報通り、雪の中、宮川の
雪解け水は、肩まで増水しさらに冷たいなか、雪降るなか、
残りの御柱の川越しは、それは、みごとだったそうです。
|