諏訪大社 御柱祭り

2005年6月22日より    by チョコたん




  諏訪の御柱祭は、現在正式には、「諏訪大社式年造営御柱大祭」といいます。寅年と申年、7年目毎に行われる御柱祭りは、祭の規模、勇壮さともに他に類がなく天下の大祭といわれています。

4月には、山で切り出した直径1M(周囲3m)長さ17m、重さ10トン(上社の場合、伐採後の水分を含んだ生木のため下社より重い)にもなる モミの木を急坂を下る「木落し」宮川の雪解け水で清める「川越し」が見せ場の「山だし」

そして5月には、里の中を曳いて各社殿を囲むように御柱をたてる「里曳き」「柱建て」が、すべて人の力のみで2ヶ月にわたり信州諏訪地方20万人の氏子が「奥山の大木、里に下りて神となる」同じ目標に向かって力をあわせて 一つのことをやりとげる祭なのです。


 


  エクシブ蓼科から、御柱祭のパンフレットが届き、7年にいっぺんということでなんとか行って見たいと思いました。問い合わせると人が多くて連れていけないので各人で行ってくださいとのこと。JRの駅のパンフレットも参考にしながらまずは、4月2日、3日、4日に行われる「山出し」に行く事にしました。

 新宿方面から特急あずさに乗り、9時半ごろだったか、もうすぐ茅野駅、というところで右の窓になんとたくさんの氏子の乗った御柱が坂から落ちる「木落し」が見えたのです。急にわくわくしてきました。あとにして思えば、あずさからが一番「木落し」が近くで見ることのできた場所だったのです(苦笑)

とにかく茅野駅に降りるとこれがまたびっくりで、今までこんな人で混雑しているのは、見たことがない人、人、人。新宿駅とは言いませんが・・・
改札を出てすぐに1階の観光協会に行きました。どこにいけば見る事ができるのか、今何をしているところなのか、また、パンフレットもいただいて教えていただいた上川という川の方へ行きました。中央線の電線のはるかむこうに小さく人のたくさんのった御柱が 見えました。


 

 ・・・突然、左隣りのご主人が大きな声でうたい出したのでまた、驚きました。驚いている私に別のご主人が、これは、「木やりうた」と言って「ここは、木落し、おねがいだ〜」と曳き子への気合、応援のようなものでこれがないと御柱は動かない、というほど、重要なのだと教えてくださいました。

そして今は、上社の本宮と前宮に建てる8本の柱が順番に山から曳いてきたのを木落し坂から落とすところだということ。それぞれの柱を曳く分担があって、「富士見、金沢」「米沢、北山、湖東」・・・など教えていただきました。

今、これから落とすのは、「米沢、北山、湖東」というので、それなら、エクシブのある北山地区の御柱を木落し、川越し、里曳き、建て御柱まで追っかけでついて行くことに決めました。(単純ですがなんとなく愛着を感じているので)
ここにいても遠すぎて見えないし、音もきこえないので橋を渡って近づけるだけ行ってみる、とパパさんをおいて歩きはじめました。

 

「人を見るなら、御柱」の意味がわかりました。
橋の上も木落し見る人でいっぱいです。

 

日本最古といわれるお祭に外国のお客様の多かったこと。
かすんでいますが、彼女達のうしろには、八ヶ岳が見えていました。

 

一人一人が親善大使です!

木やり日本一のたすきをかけた子がいたので聞いて
みたいな、と言ったらその場でうたってくれました。
とおる声に皆も振り向きます。拍手〜

 

少し、お祭の雰囲気にひたったのでまた、木落し坂に近づいて行きました。
さきほど親切に教えてくださったご主人が言っていらした「ふるまい」というのをみつけました。

 

氏子は寄っていかなきゃ野暮なんだそうです。とはいえ大人は、ただとはいかないので祝儀をはずむそうです。
預貯金は、この日の為に。御柱の年は、葬式もタブー、結婚式も控えるとか。

 

木落しがかなり近くなってきたところで入ろうとしたら、近くの場所は、桟敷席のようになっていて事前に席を買った人しか入れない事がわかりがっかりしていたところ、携帯が鳴りました。

「さきほどのご主人が奥さんは、どこ行ったか、というので橋を渡って木落しの近くまで行った、と言ったら、自分の席があるから連れて行ってくださるそうだけど、どうするか、」という電話でした。まさに神様からの贈り物!「ぜひ、お願いします」と即答。こんなこともあるんだとうれしくなりました。

人ごみをかきわけやっと桟敷席のあるはずの小屋にたどりつきました。中央線をはさんでメドデコにたくさんの若衆をのせた御柱が右に左に揺れています。坂の距離は、下社より短いものの40m角度は、断崖。10万の観衆が集まっていたそうです。

 

中央線のすぐ脇に木落し坂があるとは。

 

木やりうたと人々のわきあがる拍手と歓声の中今まさに御柱が暴れようとしています。
一気に坂を下り、また、一歩神に近づきます。



昔は、中央線の電車を止めて御柱が線路を渡った時代もあったそうですが今は、ガードをくぐります。しかし、そのときガードにメドがぶつかるのでトンネルをくぐるときメドをはずして通るそうです。このあと、坂をくだった御柱は、「山だし」最後の難所、 雪融け水で身を切るような冷たい宮川の川越しに向かいます。

 

御柱が清めにあずかる前にまず、地区の旗を持った氏子たちが冷たい川を転びそうになりながら、
長老は、抱きかかえられながら、対岸まで綱を引っ張ります。戦いの時を思わせる光景です。

 

つぎつぎに川に入り綱を曳きます

 

放水をしたり木やりうた、太鼓で気合も入ります

 

いよいよ突入です。そのときボキッと音がしました。あとで聞いたら
メドが折れたのだそうです。けが人がでなかったか心配です

 

バランスをとりながら最後の一引き

 

後メドが跳ね上がり歓声とともに着水。以前死者がでた為、前メドだ
けで後メドには、乗れなくなりました。見ているよりずっと危険なのです。

 

  今日は、4月というのに半袖でも汗がでる暑さというのに明日は、大雪の予報だというのです。防寒の用意をしてこなかったのでエクシブはキャンセルして東京に帰りました。翌日、予報通り、雪の中、宮川の 雪解け水は、肩まで増水しさらに冷たいなか、雪降るなか、 残りの御柱の川越しは、それは、みごとだったそうです。
 

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