上社 里曳き、建て御柱 5月2日(日)3日(月)4日(火)
山出しから一ヶ月御柱屋敷で静かに休んだ後、こいのぼりも泳ぐ新緑の五月晴れのなか、御柱は、再び動きだします。 |
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ここは、あとで御柱屋敷から御柱をひっぱってくる御柱街道で今、私は、御柱を宮に入れる東の鳥居から写真を撮っています。人でいっぱいのこの道をまっすぐ行くと前宮につながっています。
とりあえず、本宮の中に入ると龍が・・・どうやら龍舞が見られるようです。神主さんがお祈りしたりでなかなか始まりには、時間がかかりそうです。 まだ、この時は、よくわからなかったのですがこのことが頭に残っていてあとで調べるきっかけになったのです。始まりました。 |
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太鼓の響きとともに龍が暴れだしました |
勇ましくも美しい。龍舞もクライマックスです |
←龍とK野さん。知識なく行ったのでせっかくのお話もずいぶん頭を素通りしてしまいました。 ここは、御柱の本宮1之柱を引こうと抽選をする場所でもあるんだよ、などいろんなことをと話しててくださったご主人ですが、今夜どこに泊まりなさる、と聞かれたのでエクシブというところです。と答えたら、なんとこの3月までエクシブの車両係をされていたとか! きっと送迎バスでお世話になっていたことでしょう。この日は、23万人の人出だったそうですから、これも御柱の神様の計らいでしょうか。 |
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ここで龍にまつわる話をします。(手長神社の神主の宮坂さんにお聞きしたしたことです) 諏訪湖では、御神渡り(おみわたりといって氷が膨張するときさけてもりあがる現象)の形は、だんだん盛り上がってきて龍がくねくねするような形になる。それを古人(いにしえびと)が見て諏訪の神様が龍の姿になって渡った跡であるとか、いう風に受け止めて何か不思議な力があるのではないかと考え、龍がこれ以上この湖で荒れ狂わないよう鎮めるための祭りの庭が設けられる。これが上社と下社の存在になるのでは。 だんだん、年代が経つとこっち(上社)が男の神様で下社が女の神様とかロマンを込めた思いで受け止めるようになった。経済が豊になったり、物の考え方が変わってきてそんな気持ちになったのだということです。 ところで天竜川があるでしょう。川下の人達は、その川の水を得て生活しているわけ。それでその水源に行くと満々とたたえる湖がある。そこで御神渡りという不思議な現象が起こる。そこには、龍が住んでいるのだろうと思い天竜川という名前になったというわけ。さかのぼって行けば龍のいる所は諏訪湖なんだよね。 (神主さんのお話、おもしろくて説得力ありますね) |
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龍舞がおわるとすごい迫力の手水(ちょうず)が目にはいりました。だまって通り過ぎるわけにはいきません。 |
何か、にぎやかな雰囲気になってきました。騎馬行列です。江戸時代の御柱祭の様子を伝える唯一のものだそうです。 |
北の鳥居から入ってきた長持ち行列があったり花笠踊りがあったりして楽しみました。 |
長持ち行列は、仮装行列のようで本人達はいたってまじめです。 |
沿道には、大きくなったら本宮1之柱に乗るのかな |
Kちゃん と Mちゃん
そこに観光協会のKちゃん(みんながそう呼んでいたのを覚えていました)がとおりかかったので「Kちゃん!」と声をかけました。 |
ここで消防団のMちゃんが登場してくださったので余談ですが、明治35年上社の御柱祭で前の御柱を追い越そうとしてけんかになり(死者2名)そのとき、曳き子も警備もみな消防団の格好だったので警察がきてもだれがどれだかわからず、それをさかいに今のような曳き子は、カラフルな
はっぴを着るようになったということです。 そろそろ、御柱屋敷から御柱街道を本宮1之柱がやってきそうです。 |
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所狭しと先メドが見えました |
メドに乗っているときの足 |
後メド、なんとか無事に前メドが鳥居に入り坂になっているため |
降りようとしないだんなに降りろと言っているところ。 |
本宮1之柱が里曳きされて本宮に入るところを見届けたので急いで追っかけの前宮1之柱の柱建てへ。
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