季節はかわり大晦日です。

ご馳走でおなかいっぱいでしたが
年越しそばもふるまわれ いただきました。

コンベンションホールでは、岡谷の方の太鼓の演奏もあり
前年には なかった御柱の年らしいもりあがった年越しでした。
ビンゴでは、2位でポータブル DVDを頂きました。

 

明けて2005年、元旦  花木鳥鳥でおせち料理のついた朝食をいただき
諏訪大社本宮へエクシブのバスで御参りへ(要予約)

 

雪の蓼科ですが晴天で穏やかなお正月です。
ACAラウンジに顔を出してくださる皆様のご健康とリゾートクラブネットの発展もお祈りしてきました。

 

本宮の正面の鳥居の前で消防団によるはしごのり。
ナレーション付きなんですけど晴れの舞台でみんな中々降りずに大サービスで楽しみました。

 


新しい柱も見にいきました。しっかり囲われて札が立っていました。

 

この上社本宮には、東部町出身の「雷電」の像や
手形もあるし、神文の「かじのき」 もあります。

また、木落し、里曳きと若い衆がのってきたメドも
飾られていて御柱祭を思い出していました。

 

御柱祭あれこれ
 

   諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社(本宮、−諏訪市、前宮ー茅野市)が北に下 社(下諏訪町の春宮、秋宮)と4つの宮がありそれぞれに4本ずつのもみの木を建てるので16本の柱がいるわけです。

以前は八ヶ岳の原村から切り出していた上社の柱ですが台風でなぎたおされたので 初めて女神湖から1キロほどの佐久の立科町からの切り出しとなりました。

 書物でわかっているのは、桓武天皇(804)のころから というので200回は行われているのですね。
今のように上社下社一緒の形は、明治になってからでそれまでは、別々に行われていたそうです。

その歴史は、太古にさかのぼり狩猟の神、風の神、水の神、農耕の神として信仰され鎌倉以降は、東国第一の 軍神として崇拝され武将達が分霊を全国に持ち帰ったことから、今では、1万の分社がある全国でもお諏訪さんが、20パーセントを占めるようになりました。

また、柱建ての行事は、神殿を建てかえるかわりに柱を建てかえると考えられて いるようです。 今まで建てられた柱は、どうするか、というと新しい柱が建つ5月より前の4月中旬にはずし、6年間ご神木としての役目を終えて6月中旬に本宮での古御柱祭で魂を抜いて「ふつうの木」になります。

そして表札、鍋敷き、など姿をかえて生き続けるのです。エクシブのそばの冬は、スキー場になる2in1にも柱が建っています。宝さがしのときなど御柱のあたりに隠されることもあるので知っていると得することもあるかも?です。近くを通ることがあったら、ぜひ足をとめてください。



御柱の年には、諏訪市博物館で展示される写真や資料も御柱祭のことも少しわかる手助けになります。戦時中、昭和19年の御柱で若者は戦場に出かけ、残るは老人と子供達で、おにぎりくらいしかないのに大人に代わってひく子供達の笑顔は脳裏をはなれません。また、下諏訪町では、時の町長が総指揮をしていたところ綱がゆるみ柱が倒れ、殉職をとげ線香がたむけられているということです

今回の御柱でも数名の死者がでたということです。冷たい雪解けの増水した川越しで 肺炎になられた方もいらしたそうです。でも○時間過ぎたら、御柱で亡くなったとは、言わない、とか管轄外の松本の病院へいったりするそうです。

「最近ご主人見かけないけど」「ちょっと出張へ」と、本人は、名誉の負傷とおもってもいろいろタ ブーもあるようです。帰りに急な雨が降ってきて乗ったタクシーの運転手さんが「諏 訪の(長野だったかな)男は、大事にされていいよ〜」とうれしそうに言ってらした のが印象的でした。そうでしょう、そうでしょう。4時間以上本宮で建て御柱見ている間女性からもたくさんの話をききました。東京に嫁にいって本当によかった、とか、男尊女卑が唯一 残るのが長野とか(鹿児島かと思ったら、今は違うんだそうで す)このお祭ができるのも陰で支えているのは、女性達のおかげということを忘れてはいけません。
 


  この御柱祭をまがりなりにも体験して、御柱を建てるお祭とはじめて聞いた時、ト ラックで運べば1日でできるのに、とちらっと思った自分は、もう、いませんでし た。 都会では、親戚の集まりも結婚式や法事くらいだったりするのに、御柱祭を通じて地域ぐるみで一つのことを成し遂げるために目標に向かい忍耐も養い、祖先の歩んだ歴 史も学び、子供から高齢のかたまで心を一つにできるこのお祭りは、すばらしい財産なんだと思えるようになりました。7年は、決して長くは無いような気さえしてきまし た。

『 なぜ、柱を建てるようになったか』は、色々な説がありますが、今、諏訪で生活 する人々にとって大事な「生きているお祭だ」ということだけは、まちがいないと強く感 じた体験でもありました。これで私の御柱体験は、終わりますが、諏訪の氏子さんたちは、御柱貯金もはじめ、次回の御柱祭にむけて動きだしていることでしょう。 とっても長くなってしまいましたが、最後まで見ていただいてありがとうございまし た。
 

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